2017年5月27日土曜日

猫の時間の流れに身をゆだねてみる・・・

寒い寒い外を眺める牡丹くんの後ろ頭。 
お外がとっても気になる、お餅的な頭に、
ミカンを乗せたくなる衝動に駆られる(笑)

昨年の11月は、人生の中でも忘れることのない、どん底に突き落とされるような出来事があり・・・私の心は「よくもまぁ普通にしとるな〜」なんて思う日もあり、脳内映像では「やっとれすか!」と机をぶん投げている感じでした。
こうして時間が経ったので言えるのですけどね。

そして、
前回書かせて頂いた、ひつじ&2B(れいちゃん・ゆう君)お届けを最後に、私は猫活のペースを一気に落とし、日々をなんとか回すのみとなっていきます。

ヒカリちゃんの譲渡会参加も一切なくなり、「いつ里」に掲載させて頂いていたヒカリちゃんの里親さま募集記事も6ヶ月を過ぎ、いったん掲載終了となってしまうという。
本来ならば、すぐに掲載記事を手直しし、再掲載すべきところ、
再掲載することなく(実際はしたくても出来なかったのですが・・・)、
このブログは、ちょいちょい時間が空く事があったので、「まあuzumakiさん、忙しいんだよね〜」くらいな感じで(苦笑)許されて?いたのかも知れませんが・・

外は冬となり、1Fにてスズメを見つめるヒカリの後ろ姿。
何もしてあげられなくて、ごめんね。
でもヒカリの天真爛漫さに救われる日々。

私ごとで恐縮なのですが、
う〜ん、私のブログなので私の事を書いたって良いのですが、概要だけ?(苦笑)チラッと。

ちょうど、ひつじ&2Bを保護してすぐ、いつもと変わらず大車輪の如く日々を回していた私なのですが
職場の健康診断+αの結果で、急転直下、奈落の底へ突き落とされます。
「至急、再検査を!」と紹介状つきの検査結果を受け取り、不安はありながら、でも「まあまあ、きっとどうって事ないわさ」な〜んて気持ちで、病院選びも「ここでいいか」くらいな感じで再検査を進めていく段階で、命に関わる危ない病気が見つかりました。
「奇跡の早期発見」「職場の健診さまさま」なのですが、恐怖は変わりませんでした。

その時、私は「先生、お願いです!命だけは助けて下さい!」と号泣する、なんて事にはならず、ただただ呆然としてしまいました。
自分のことのようには感じられず、俯瞰で見ている自分がいました。

「嘘みたい」「よくわかんない」

慌てたのは夫で、
「ごめんね、私、良くないみたいで今から緊急でいろいろ検査をする事になったから、子供のお迎えと猫ちゃん達の事、お願いね。」と電話すると、彼は私には「わかった!」と言い、
職場には
「すいません!妻が〇〇になりましたんで、帰ります!」と仕事を早退し、病院に飛んできました。彼の方が怖かったのかも知れません。

私は、
「うわ〜困ったな・・。勘弁して欲しいな・・。」

というのが、正直な気持ちでした。
私は、脳天気でもなく頭が弱いわけではなく(たぶん)、ごく普通のおばさんと思われるのですが、自分が命に関わる病気になるなんて事は、想定外でした。
考えた事がなかった。

5年前に母を亡くし「もうどうやって生きていったらいいの?」と目の前が真っ暗になったけれども、なんのかんのとちゃんと生きてきました。
猫のトマトちゃんを亡くし、「我が家じゃないみたい」と肩を落とし、クコを亡くし、「ごめんね」と泣き崩れ、花火を亡くしたときはのたうち回って、「耐えられない、この家に花火がいないなんて、認められない」と歯を食いしばり、
胡つぶが行方不明になったとき、内面が裂かれるような思いをし、初めて人に対して殺意を覚え、
市松が亡くなったときは、「出来る事は全部やった、仕方がない、よく頑張った」と言い聞かせつつも膝をついたその膝下が砂のようにサーッとなくなり深い沼みたいなところへ落ちていくような、そんな気持ちになりました。

それでも、今いる猫ちゃん達の毎日の変わらぬ日常と、
何よりも自分の産んだ人間の(当たり前か)子供の成長は、私を闇の世界からスッと現実の世界に引っ張り戻してくれ、尚且つ喜びや生き甲斐も与えてくれました。

私の立っている今の場所は、私一人の意思で「もう止〜めた」とピョンと飛び降り、止めてしまうことは出来ないのだ、と思っていますし、
そんなつもりは一切ありません。
子供を育て、猫ちゃん達のことをする、仕事をし、家事をし、ちょこちょこ遊び、そんな私の人生は、特に劇的な事も起こらず、かといってそこそこ幸せで、このままずっと続いていく、と思っていました。

そして、私はとても強いのだ、とも思っていました。

母を亡くし、トマトを亡くし、クコ、花火、市松を亡くした段階で、私の人生の中で5本の指に入るような悲しみはそうそうないのではないか?怖いモノなんてそうそうないのじゃないか?と。
あの時期は辛すぎて、そう思おうとしていたふしもありますが、
子供は当然、私より先に死ぬなんて事はない、と信じてますし、

このあと、私のすべき事は、子供を育て猫活をし仕事を続けというベースがあり、
父の介護・看取り、そして子供が巣立ち、夫の介護・看取り(ふふふ)、その後はのんびり猫活友人とお茶をしつつ、残りの人生を楽しむ予定でおりました。はっはっは

100歳とはいかないにしても、
自分が大病する、とか
自分が死ぬかも?とか考えていなかったおめでたい人間でした。
だって、やらなくちゃいけない事が山盛りあるのですもん。今、死んでる暇なんぞないわい、と。

今回(結果から言うと治療はかなり辛かったですが、今は命には別状ないです!大丈夫です^^)
自分の命がこの段階で尽きることがあり得るのだ、と思い知り、恐怖にさらされることになります。
まずは、自分の子供のことを考えました。
離れることも耐えられないですし、ずっとずっと成人するまではそばで彼の成長を見ていくことは当たり前で、私からそれを取り上げられたら、と考えるだけでゾッとします。

そして、猫ちゃん達のこと、今いる猫ちゃん達は当然私が最後の最後までお世話をし、あとに残すなんて事は想像だにしていませんでした。
うちの子、保護猫ちゃん、合わせて10匹以上の我が家の猫ちゃん達の事を、私がせずに誰がするの?と、夫もやってくれるでしょうが、名人(自分で言ってしまう?)である私と同じレベルのことを彼に課すのは酷というモノでしょう。

私に替えはいない。

(仕事も大切ですが、仕事に関しては私の替わりはいると思っています。)

色んな事が頭の中でグルグルし、足が地面をしっかり掴んでいないような感じの時間が過ぎていきます。
人ごとのように実感がないまま、厳しい検査・検査・また検査をし、具体的な入院・手術の日程やら、化学療法・放射線治療の日程やら、どんどん決まっていき、私はベルトコンベアーの上にいるような錯覚に陥ります。

「なんか怖い・・」

その間、何事も起こっていないかのように、日常は回していました。家事も仕事も育児も猫ちゃんごとも。ひつじと2Bのお届けも。

この頃に、猫の先生にお守りとして頂きました^^
「またまた猫医者に訊け」を持参すると裏表紙にこの御朱印が頂けるんです。
作画:くるねこ大和さん
私ももちろん頂いているのですが、これは特別に頂いたモノです。
「頑張れ!闘うばばあ、すげえな、おれには怖くて出来ない」と言われましたぜ。
ふふふ、ばばあっつったな〜σ(`´メ∂
でも、本当は優しい猫の先生なのであります。


私の主治医は言いました。
「私の仕事は、あなたの体を切って悪いものを取り出したり、病気を強い薬で治療をするだけじゃないんだよね。
あなたが元いた場所にあなたを戻すのが仕事だから。
あなたは仕事を辞めたりせず、今楽しんでいること頑張ってやっていることを諦めたり遠ざけたりせず、又出来るように、人との関係を断ち切ったり退いたりせず、堂々と、でも頑張らずいて欲しいんだよね。
頑張るのは、私と看護師が頑張るから。」と。

目からウロコというより、水道管が破裂したかの様な涙が出ます。
やっと、私がここから通るべき厳しい道に対しての実感が湧いて来ました。

「ただごとじゃないんだな。」と。

看護師さんは言いました。
「これは、家族や周りの協力がないと乗り越えられない病気です。一人では無理。私は看護師をさせていただいているけど、この病気にはなった事がないのです。
本当の意味ではHさん(私の事)の恐怖や辛さはわからない。
でも教えて下さい。何が辛くて何が不安で、その時その時、自分がHさんに何が出来るのか、全力で考え、寄り添いますので、少しの事でも私に弱音でも毒でもなんでも吐いて下さい。」と。
(実際にこの看護師さんを含めたこの病院の看護師さんは素晴らしく、
少しの私の不安や変化も見逃さず、いつも寄り添い手を握って下さいます。
自分の頭の中の知識をひけらかすことなく、それでもその知識と長い経験に裏打ちされたプロの技で、ただただ私の痛みと恐怖と辛さに寄り添い、少しでも私が楽になるように考え、声をかけて下さってます、すごいです。)

私はポロポロポロポロ泣きました。
先生を、看護師さんを信じよう、絶対負けない、元いた場所に戻るのだ、と心に決め、今に至っています。
そして、実際に、この治療の数々が想像以上に辛く苦しいものだと知るのも、もう少し後のことになってきます。

12月1日にザラメちゃんの父さんより
「祝3年」のメールを写真を頂きました^^
幸せそうなザラメちゃんの姿は、励みになりました。
又、元いた場所に戻るのだ、と強く思いました。


まず「元いた場所に戻る」為に私は、
病気を隠すことなく、心を開いて、近しい人に「助けて欲しい」と伝えていくことにしました。
まずは子供の事です。私は母親を亡くしており、父親も病身。1番気軽に頼める自分の親はいない、と捉え、いとこや友人に頼り、
子供とは今まで離れることもほぼなかったのに、入院だ手術だ、でかなり不安な思いをさせてしまう、
学校や学童にもサポートして頂けるよう、自分の置かれている状況をお話しして、協力して頂けるよう、何かの時に助けて頂けるよう、お願いしました。

子供にも本当の事を話しました。これから私は入院したり、手術したり、とても辛いお薬を体に入れたり、あなたの事をちゃんとやってあげられない、と思う。
でも、私もあなたの助けがないと戦えない怖い病気なの、と一緒に頑張ってくれる?と。
8才の坊主が「うん!ママなら乗り越えられるよ。僕も頑張る。」とその時は言いました。

私がきちんと心を開けば、周りは全ての人が優しく温かく、助けてくれました。
私自身のこと、子供のこと、猫ちゃん達のこと、直接的に助けてくれる訳じゃなくても顔を見に来てくれたり、離れていても「頑張れ!」とエールを送ってくれたり、
今現在も、出来る事が増えてきたとは言え、やはり人に頼り、友人や隣人に助けてもらう事もまだまだある日々を送っております。

病気を知ったときは、「なんで?なんで私なのだろうか?」と思わないでもなかったですが、
今は、「これは奇跡だ、こんなに支えてもらって、成り立っている。」とありがたく思っています。
体がどん底に辛く、動くのも食べるものままならないような時は、人の温かさ(逆も然り、人の冷たさも・・・)が元気な時とは比べようもないほど敏感に感じられます。
身に染みる、とはこの事だな、と思いました。

今まで当たり前に出来たことが出来なくなり、当然のことが当然ではなくなったり、
自分が思っていたことと違う形で跳ね返ってきたり、色んな事に気づきます。
本当の人の優しさ、深さ、度量の大きさというのは(くどいようですが、悲しいけど、逆も然りです)、
元気な時は、さほど理解できてなかった・・・。きちんと見えていなかったです。
こうなったから、気づけた、こうなったから、感謝が出来た。
色んなモノが見えてきて、自分の浅はかさも見えてきました。何を見ていたんだろうと思うことも多々ありました。

今はまだ体が辛いので、何も言えませんが
いつか乗り越え切った時に、この経験は残りの自分の人生の糧になる、と確信をしています。
どえらい強いおばさん、そして優しいおばさんに私はなってるはずです。(あくまで予定ですが、苦笑)

冬のリアンちゃん(我が家ではオカッパちゃん^^)
久しぶりにナマに会いたいな、
私の事なんて忘れてるんだろうな(苦笑)


そして、「この経験」の中には、
私が猫と同じ時間の流れで過ごす、という見方を変えれば、なんとも幸せな経験も含まれています。
入院するギリギリまで仕事をしていましたが、
退院してからは、何をするわけでもなく、ジッと家にいました。
そのうち化学療法が始まりましたので、副作用に耐えつつ、重く怠くなっていく体を横たえ、お腹に猫を乗せ、股に猫を挟み(結果的に、笑)、同じ枕を猫と分け合い、日中を過ごしていました。

「こんなに猫たちとベッタリ一緒にいられるとは」と
しんどくなっていく体とは裏腹に、忙しすぎた日々を振り返りつつ「これもありかな」と
猫の事を同じ目線でジッと見ていました。
本来なら仕事している時間も、私は、ただただ寝ているしか出来る事がない時期が続き、猫を横目に「よく寝てるんだな、だから寝子(ねこ)とはよく言ったもんだな」とか。
取るに足らないことを思ったり(笑)。

お正月のジル君(アル君)かわゆいな〜
幸せなんだな〜と見入った1枚。
少しお太りになりましたね(笑)
このところ、ジル君かあさんが作るカヌレが食べたい!とこの写真を見ると思います。
食欲が少しずつ復活してきたと言うことと、それくらい美味しいのだ!


色んな発見もありました。
私が勝手に猫ちゃん同士の相性を決めていた事が発覚します。
猫ちゃん同士がわざと仲の良くないふりをしたり、演技をしていた可能性が出てきました(笑)
私が思っていた、この子とこの子は相性が良い、悪い、はけっこう1日通して見ていると
「え??この距離でもケンカしないの?」とか「あれ?もっと仲良しなのかと思ってた。」とか、外れていたまではいかないにしても、意外や意外な猫たちだけの社会がこの家にはありました。

人がいない時間、猫ちゃんだけ時間は、新鮮でした^^

いつもは、仕事でいないはずのかーさんが、ずっとベッドで一緒に転がっている・・
猫ちゃん達はざわつくのかな?と思っていたらば、わりとすんなり受け入れてくれまして、
受け入れたというよりは、
『世話をしてくれる人間』という扱いではなく、
『何も出来ないでくのぼう』的な扱いを受けました(笑)
ソッとされていた感じです。

語らなくても私の匂い、オーラから全てを悟る猫たちは、
いつものように「ごはん!早くごはん!」とか「ぬるめのお湯をもて!」とか
「かゆいの、顎の下をゴシゴシして」とか「撫でれ!」とかの要求をしてこず
ただただ、つかず離れずで一緒の時間を、一緒に寝っころがって過ごしました。
完全な「おみそ」扱いでした。(知ってます?この言葉。笑)

今思い出すと、
動けないはがゆさ、何かを考える事も出来ないくらいの気分の悪さ、とにかく不調、
普通に動ける事の幸せを骨の髄まで思い知った次第です、はい。
猫にまで気を遣わせたのですから(苦笑)。

残りの私の人生は、元気になりさえすれば、猫たちの下僕としてセカセカとお仕えしようと、誓ったんです。
「元気」ということが、それが1番の幸せなのです。

私のベッドの上でいつもいつも小競り合いをしている
カンロとヒカリ
癒やしのひととき。ヒカリちゃん後ろ足、やばいです。

もっとやばい動画です^^


そして、何にも出来ないと見せかけ、私はしっかり猫ちゃんを保護したりなんかしたりして(苦笑)、
これはこれで、病気ですな。
呆れる周りを尻目に
3月の2日は、桃おくんを捕獲、去勢し、ワクチンをうち、虫ノミ駆除OKでございます。

桃お♂約1才ちょっと。短足・ずんぐり・歩く姿は
オオサンショウウオな桃お君は、私のドストライクな可愛さ^^
たまらん、ですわ。
お陰様で早々と里親さまが決まり、7月に緑区に婿入りです!
ありがとうございます。

そして、またまた・・

ものすごくお腹を空かせた女の子が舞い込んできまして、
仔猫を産んでしまわぬよう、もしかしたらもう産んでいて、育てていないか
慎重に彼女の動向を見守りつつ、
「こんだけ長い時間、うちの縁側に寝転がっているって事は、仔猫はいないよね」と
がっつり保護。避妊手術、ワクチン、完了です。
あとは、人慣れするだけ、これが大変(苦笑)

胡梅(こうめ)♀ 生後約8ヶ月
こちらは少し懐くのに時間が掛かりそうですが、
リリースも出来ず(苦笑)。

また、胡梅の可愛らしい写真を撮ることを目標にしつつ、この子達の事も書いていきますね。

さてさて、
今回、辛い中でも発見あり、私以外の家人がとても強く頼もしくなっている事にも気づかされました。猫ちゃん達も然りですが、

8才の息子が、何にもわかっていないのでは?と思っていたのですが、
彼はちゃんとわかっていて、母親が病気で、手術で、という自分の不安を近しいお友達にお話ししていた事が後から発覚します。誰にでも話していた訳でもなく、本当に聴いて欲しいお友達にソッと話した様子で・・・ビックリしました。

へ〜

と成長を感じました。大人の私も不安を友人に聴いてもらうとスッと楽になります。
うちの子もそうやってお友達に話していたんだ、と心がシンとなりました。
どうやって話したのが、後ろからそっと覗いてみたい気持ちにもなりました^^
私が思っているより、ずっと子供も子供の社会で、いっぱしになっていっています。
きっと、彼も今回の事を乗り切ったとき、強く優しい子になっている、と私(バカ親、苦笑)は思っています。

そうやって考えてみると、猫ちゃん達も不安だったでしょうか?
「あいつも不死身ではないらしい、ちょっと優しくしてやるか。」な〜んて猫ちゃん同士で話していたりなんかして。
間違っても「かーさんが体調悪いみたい、どうしよう?大丈夫かな?なにか自分たちに出来る事をしなくちゃ!」な〜んてざわつく事はありませんでした(笑)。
猫って、そんな感じなんです。

でも、いてくれるだけで圧倒的に元気や癒やしをもらえる、という。
そんな愛すべき存在であります!


4月いっぱいで辛すぎた化学療法が終わり、それが抜けるのに苦しみ、
今は、新しい治療とと共に出来る事が少し、また少しと増えてきてます。

あと、もう少しです。







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