2018年10月11日木曜日

身代わり猫だったのかな、タマリは。

黒猫・タマリちゃん享年14才 H30.8.5逝
逢いたい、寂しいよ。
暑い暑い今年の夏、私が召されるのではないか?というくらいしんどかったのですが、我が家の宝物、タマリさんが逝ってしまいました。
我が家の空気が一変しました。存在感の大きな子でした。自分の家じゃないみたいです。

トマト、タマリ、市松、花火の4匹生活が長かった我が家、うち3匹がいなくなり、
「タマリちゃん、頼むよ、長生きしてね」と言い続けた私達です。
悔やんではいません、出来る事は全てした、と胸を張って言えるから、ただただ「ありがとう」しかないのです。

猫の寿命はだいたい13才なのではないか?と猫の先生は言いました。
そう考えると天寿を全うしたとも言えます。
長生きする猫ちゃんも当然いて、そういう猫ちゃん達の飼い主さんが
「うちの子は20才で♪」と言うから、猫の寿命は20才、とか思っていましたが
実際、こうして猫まみれで暮らしていると
花火も8才、市松も9才で亡くしています。私の名前の由来のウズラちゃんに至ってはFIPで2才で亡くしています。
やはり先生が言うのが正しいのかな、と思っています。

タマリが具合を悪くしたのは、4年ほど前。
肝臓の数値が悪く、ずっとずっと猫の先生のご加護の元に、それでも元気に暮らしていました。
1ヶ月に1回の受診が、この4月に10日に1回になり、
7月に入ってからは、容体は急変、毎日猫の先生の所に通いました。必死でした。
治らない、老衰なんだ、とはわかっていました。でも・・・
少しでも少しでも長く私の側にいて欲しかった。

「先生、こうして先生に注射してもらうとタマリは身体が楽になるんですか?」
「うん、そういう事」

そっか、じゃあ通おう。
正直、フルタイムで働く身で、大病した後で、酷暑の中、
仕事終わりで子どもを迎えに行って、子どもごとタマリを毎日猫の先生の所に連れていくのは、しんどくないわけはなく、
でも、出来る事をしていないと、後ですごく後悔することもわかっていました。
ガリガリに痩せてしまっても、タマリは凛としていました。
可愛い、大切なタマリのままでした。

タマリ
顔の半分が瞳のような・・・目が印象的な子でした。

思えば、タマリは不思議な子でした。
最初に出会ったとき、くちゃくちゃの仔猫で・・・ゴミ箱から彼女をすくい上げた女の子が、とても不思議な事を言っていました。
今ならその意味がわかるのですが。

「この仔猫の中にはお不動さんがいる(不動明王のことだと思われます)、神様がいるからお姉ちゃんの足を治すよ。」と。

当時、私は右足股関節に、タチの悪いものがあり、仕事も辞して、これから手術をする事になっていました。痛みが強く、杖をついて歩いていたのです。この先の人生に絶望とまではいかないにしても、たいした期待もせず、暗く繭の中にいるように過ごしていました。

私達夫婦は、最愛のうずらちゃんを亡くしたばかり、1匹になったトマトを抱きしめて泣き暮らしており、そろそろ他の猫ちゃんを迎え入れたい、とキャリアのポンテの言う猫の里親になることが決まってました。(ポンテはうちの子になりましたが、トマトとどうしても仲良く出来ず、夫の実家で手厚く天寿を全うしています。)
しかも、私の手術が決まれば半年は動けないだろう、と医師から言われていました。

しかし、夫はタマリにどんどん惹かれ、「うちの子にしたい」と連れて帰ってきました。
私もそうなるだろうと思っていたので、素直に受け入れられました。
こうして家族になってみると、タマリは本当に可愛くて不思議な子でした。
その目の中に吸い込まれそうなくらいタマリは人をジッと見つめる子でした。

そして不思議な事が起こります。
私のタチの悪いものは、どんどん骨化し良性のモノに・・・手術は必要なくなり、痛みは暫く続いたものの、杖なしで歩けるようになり、
なんと、人間の子どもを授かり、私は人の親になる事が出来ました。夢のようでした。
(けっこうな高齢出産で、周りはびびりました。笑)

書き出したらきりがないですが、
大きくは、私達夫婦がレイトショーを観に行って、帰宅すると
タマリが歯を剥いて、ニャーニャー鳴いて、家電の方に走り、家電の上に乗った瞬間に
電話が鳴りました。
私の母が倒れて救急搬送された、連絡で、夜中の1時の出来事でした。

「ああ、タマリ、ありがとう!病院に行ってくるね!」と夜中にバルケッタをぶっ飛ばす私、
母は一命を取り留めました。
普段はいかつい父が小さくなって、病院にポツンと座っており、
私を見つけ、小さな子供のように安心した顔をしたのを、今も鮮明に覚えています。

父の交通事故を教えてくれた事もありました。
歯を剥いて「今、帰っちゃ駄目!」と鳴くタマリをナデナデして、「じゃあね」と帰った父は見事に交通事故に遭いました。
その後、うちの父も母もタマリに一言訊いてから、物事を決めるようになりました。

猫の先生に言わせると「た・ま・た・ま!」だそうですが(笑)

抱っこが嫌いなタマリ。唯一母にしか抱っこされなかったタマリ。
花火と市松が逝ってから、どの猫ともむれず、1匹で居間に暮らしたタマリ。
最期はちゃんと看取らせてくれてありがとう。眠るように深く息を吸って、旅立ったね。

父が作ったキャットタワー、本当は花火ちゃんの定位置。
花火がいなくなってからは、タマリが離れず。
そして、霊感の強いタマリから、どんどん霊感が強くなる私でありました。これは信じる人にしかわからないので、
頭がおかしい人、と思われても仕方ないかな?とは思いつつ(苦笑)。

そしてそして考えずにはいられないのは、私のこの大病です。
奇跡が奇跡を呼んで、少しの時間のズレで落としていたかも知れない命が隙間なく繋がって私は、死なずに済んでます。
ありがたいのと同時に不思議で仕方ありません。
懸念されていた転移も、かなりの覚悟をもっていたのにも関わらず
私は、転移なく(強い治療の後遺症はまだまだ色濃く残ってますが)過ごしています。
元気です。

何事もなかったかのように、髪の毛も生えそろい、働いて、家事育児をし、やはり猫ちゃんを保護したりなんかし続けています。

「タマリが身代わりになったんじゃないのだろうか?」とついつい考えてしまいます。
もし、そうだとしたら、と複雑な思いがあります。

タマリが逝ってしまってすぐに、私は無事にひとつ歳をとりました(苦笑)。
私は必ず、長生きをしよう、と思っています。
おばあちゃんになっても猫ちゃんごとにかまけ続けようと誓っています。

タマリ、ありがとう!
見ててね。タマリの声が今もきこえます。側にいることを感じながら暮らす私です。

生まれ代わるなら、又必ずうちにおいでね。
なんか泣けちゃうな、困ったもんです、人間は弱くて。




さてさて、↓ 絶賛里親さま募集中の子達です。
宜しくお願い致します!
すずめちゃん♀生後約5ヶ月
ペットのおうち

譲渡会にも出てます!かわゆいですよ。

こざるちゃん♀生後約5ヶ月
ペットのおうち
譲渡会に参加中の写真です。続きましては

ごいし君 ♂ 生後約5ヶ月
ペットのおうち
先日譲渡会デビューしました^^今は私の足下を走り回っております。

胡まちゃん ♀ 生後約5ヶ月
ペットのおうち
耳と脇腹に♥(っぽいもの)あり、かわゆいです。

譲渡会については、詳細は みなと猫の会 です。我が家でのお見合いも大歓迎です。



続きます!(どの口が言うのでしょう?苦笑)






2018年6月16日土曜日

閑話休題みたいな感じ(^^ゞ サツキちゃん③



怒ってるわけではないのです。
にゃんモックでヘソ天のサツキちゃん(^.^)
お陰様で、クリスマスイブイブにお届けとなりまして(^^ゞ
幸せに暮らしていますよ!


一応続いております。もうね、いつの話?という感じでしょうが、
こんなに間が空くと「とうとう死んだか?(私のこと)」とご心配やら
催促のメールやら頂き、誠にすいません。生きてますとも!

この間、私は心がボキッと折れておりまして、ぽちぽちと猫ちゃん達の保護のこと、自分の思っていることを書くのが怖くなっていました。
私が書くことで誰かが嫌な思いをするのだな、と。

前回の巻で、私のノラネコさんに対する態度に「否!」と唱える方や
「捕獲器、かわいそう」と言う方がいらっしゃり、けっこうな攻撃的なお言葉を頂きました。中には信頼している知人からの声もありましたので、堪えました。

個人的なブログですので、そんななら読まなきゃ良いのに、とけっこう凹みまして(苦笑)。
私が間違っているのかな?おかしいのかな?と随分悩んだりなんかして(苦笑)。
それくらいきついし、トンチンカンでもありました。溜め息が出ちゃう・・。
でも、やっぱり私は私で良いのかな?と心にバンドエイドを貼りつつ
「続きを書こう」と思った次第です。時間が掛かってしまいました(>_<)

これだけは言える事があります。
私が、
「責任が取れないノラ猫さんに餌をやらない」のが原因で、その猫が死んでしまった、というのはほぼないと思います。

でも、お腹空いてるよね、可哀想に、と餌だけあげて
「飼い主じゃない」から、と最後まで責任を取ってもらえなかったノラ猫ちゃんが
最後にどうなっているか、ご存じですか?
ノラの仔猫から中猫になる段階で9割は車に轢かれ、亡くなり、
生きながらえても、もっと強い猫が餌場に流れて来て餌にありつけなくて、人知れず亡くなっている、劣悪な環境・外の気候の不安定さで病気になり亡くなる猫がたくさんいると言う事は現実的にあります。

環境事業所に問い合わせたところ、名古屋市港区だけで、1日多くて20匹の猫の亡骸をゴミと一緒に処理している、との事でした。
「飼い主(責任を持つ人間)がいない猫」「車に轢かれてゴミと一緒に処理される猫」
の存在が1番辛い私です。
なんとか「ノラ猫」を減らしたい思いだけです。

が、しかし!
きれい事ばかり言ってもおれず、
私を含めた猫ボラさんにも、生活があり、自分の家に自分の家族として暮らしてい大切な猫がいます。
そこを潰す事は絶対出来ない。どの人にも裁量だったり、容量というものがあります。
泣く泣く目をつむらなきゃいけない時も当然あります。
自分がつぶれたら終わりです。自分の命より大切なこのなんてありませんし。

「多頭飼い崩壊」は、決して対岸の火事ではなく、私みたいな「そんなに頑張ってない猫ボラ」的な人間でもあり得るかも知れない、と
大病をし、「私が死んだらどうなる?」と考えたときにゾッとしました。
最後まで看取れないのなら、保護したりするんじゃなかった、とも思いました。
「自分の死」を意識したとき、
「自分の出来る事」についてもきちんと向き合い、断腸の思いで諦める、という事もしてきました。
私は死んだら地獄に墜ちるかも知れません。こわっ(×_×)
こればっかりは死んでみないとわかりませんね。


さてさて去年の真夏のお話です。

サツキ母さんと5ニャンコ、無事に保護しまして
可愛くなってきた頃に、里親募集をしましたよ〜
器量よしというのは、本当に得だな、と思った次第です^^

つむり君→カイ君となり、蟹江に縁づきました。
美しいお母さんとドラマに出てくるような素敵なポーチのあるおうち^^
先住猫のウルちゃんとパステル調な絵になる2匹なのでした^^
この子は最後の最後まで捕獲器に入らなかったビビリ君、でも1番最初に幸せの終の棲家に旅立ちました^^
まあとにかく可愛い子でした!

あめくん→笙くん 新城市に縁づきました^^
梁のあるログハウスのような猫が喜びそうなおうちの子に
なりましたたよん♪
笙くんはこう見えて固太りなんです。

笙くんのお届けの際、私はまだ髪の毛がほとんどありませんで、普段はウィッグをかぶり
仕事に行っていました。が、この時は「一生に1度、やってみたい」とウィッグの下は金髪でした(笑)
お届けのあとに笙くんち近くで川遊び!
周りを見渡すと、金髪の私か、入れ墨の入った若いパパ・ママ達、
あ〜川遊びって、訳ありの人が来る場所なのね〜と笑えました。入れ墨のパパママにも退かれる私。「あのお母さん、ぶっとんでるよね」と聞こえてきて夫がゲラゲラ笑ってました。私のあの姿が化学療法のなれの果てだなんて、誰も思いませんよね。うふふ
「ほっといて」とかなんとか思ったりしました。




そして、思い出深いお届けになったのは、

つゆちゃん→つゆちゃん
くも君と共に米原の陶芸家さんのお宅の子になりましたよ〜
これまた雑誌の中の家のようでした。

くもくん→くもくん
2匹はこのおうちの雰囲気にピッタリ!娘ちゃんもかわゆく、
なんと言ってもお母様が!バイクは乗る、ドラムは叩く、
私好みのクラシックカーに乗りこなす、こゆいカッコイイ人でした。
もう、すぐ意気投合!
又、会いたいな〜

しんがりは
ほしくん→アルくん 熱田区のめっちゃ豪華マンションに
お母さんと優雅に暮らしていますよん!
最近、妹が出来たそうです!
小さな命をそうやって救って、一緒に家族として暮らして下さって
本当にありがとうございます!この方にも会いたい私です。

そんなこんなで嵐のようなこの5匹、もらわれていった先は、もういい人ばっかり!
ありがたいです。

よくもまあ、頑張りました、さつきちゃん!(と私、笑)
次はあなたが幸せになる番だよ〜

もともと鼻ぺちゃで仔猫顔のさつき
お母さんだったことを忘れ、しばし仔猫の様に過ごす日々。
かわいい!

このあと、きっちり幸せを掴みますよ!
ありがとうございます〜
続きます(笑)